
クラフトコンサート
匠宿を右手に見ながら曲がりくねった泉ヶ谷の小径を進んでいくと、美しい一軒の古民家が現れる。ガラスの引き戸を開けると、モダンな照明器具の灯りに包まれた店内には、そこでの暮らしを想像させるかのように北欧の家具が並ぶ。
クラフトコンサートは1995年から30年以上にわたってこの場所にお店を構えるデンマーク・北欧家具の専門店。ハンスJ・ウェグナーやフィンユールなどの北欧有名デザイナーの名作品を数多く展示している。
今回は代表の田島美壽さんに、クラフトコンサートの歴史と思いを語っていただいた。
なぜ泉ヶ谷のこの場所にお店を構えることになったのか。
泉ヶ谷にやってきたのは1995年のことです。1月には阪神大震災があって、3月には地下鉄サリン事件があって、激動の年だったことを覚えています。当時はインターネットもなかったですし、今のように古民家という言葉も一般的ではなかったと思います。もともと主人が家具のデザインをやっていて、バブルの頃は東京を中心にオリジナルの家具を手掛けていました。バブルが崩壊してからは東京からの依頼もなくなり仕事の規模も小さくなっていきましたから、本当に自分たちがやりたいことをやろうということになって、クラフトコンサートを始めることになったんです。
その頃はまだ子どもが小さくて、このあたりには時々散歩に来ていました。ある日偶然に「上の方に取り壊すと言っている建物があるみたいだよ」という話を聞いて見に来たのがこの建物でした。家畜小屋やみかんの貯蔵庫があって、家財道具や農機具もそのまま残っているような状態でしたが、主人は持ち主の方に会ったその日のうちに即決していました。
私はもっと入口の方がいいんじゃないかと思ったんですが、主人は「目立つところではダメ、この奥まったところがいいんだ」と言っていました。本当にこの家具を必要としてくれる人だけが来れるような場所がよかったんですね。

なぜデンマークの家具、北欧の家具だったのか。
クラフトコンサートを立ち上げようとした当時、これからの日本で需要があるのはダイニングテーブル、椅子、ソファ、ベッドなどだと確信していました。将来的に市場が熟成してくれば、イージーチェアのようなものもニーズが出てくると思っていました。
静岡は家具の産地ですし静岡の職人さんたちは腕がいいですから、当初は静岡の職人さんたちにオリジナルの家具をつくっていただこうと思っていたんです。でも、静岡の職人さんたちが得意だったのはテーブルやサイドテーブル、鏡台や箪笥など。しかもオリジナルをつくり上げるためには何度も試作品を作らなければならず、とてもお金がかかりました。だからオリジナルの家具をつくるのではなく、これからの需要にあった家具を仕入れて販売することにしました。
当時、イギリスやイタリアのアンティーク家具も流行っていたんですが、私たちがこだわっていたのは、日本の生活スタイルに合うことでした。和の雰囲気にも合って、家具として評価の定まっているものを考えた時に、北欧家具だったんです。
北欧には日本と同じ木の文化があって、日本の家屋にもとてもよく馴染む。このショールームの家具をみていただければわかると思います。
どのようにしてデンマークの家具に出会ったのか。
デザインの勉強をしている人であればデンマークのデザインが優れていることを知っていましたが、当時の日本ではまだそれほど有名ではなかったと思います。デンマークには中古市場があるらしいという話を聞いて思い切って行ってみたんですが、最初に訪ねた時は本当に右も左もわかりませんでした。
主人と私と、小学生の子ども二人。さらにスタッフとその子どもも連れて。子供たちも小さかったですし日本に置いていくわけにはいかなかったですから。大人の誰か一人がホテルに残って子供の面倒を見ながらの旅でした。
奥さんがデンマーク人でデンマーク語が堪能な方が知り合いにいて、案内をしていただきました。カール・ハンセンを初めて訪ねたのもこの時でした。ビンテージといえばと聞こえはいいですが、当時は中古だったら安く買えるのかなと思ったんです。いろいろ調べていくうちに「日本デンマーク貿易センター」という場所があることを知っ、飛び込みました。今はもう日本デンマーク貿易センターはありませんが、日本から来た私たちのことをおもしろがってくれて、本当によくしていただきました。


クラフトコンサートの歴史を振り返って。
日本の古い建物を活かしながらデンマークの椅子を置いていったのですが、当時の値段で10万円を超えるようなものが本当に売れるのかとても不安でした。今ほど北欧の家具も知られていませんでしたから、理解してもらうことができないこともありました。ソープ仕上げという木肌の風合いを活かした家具をみて、「こんな作りかけみたいな家具がこんなに高いの!」と怒って帰った方もいらっしゃいました。
それでも、新しいものとの出会いは楽しかったですね。仕入れるものを決めるのは「今度はこの椅子に座ってみたい」という好奇心です。多い時には年に3~4回程デンマークを訪ねていましたが、お店を留守にしなければならないですし、日本にいない間は家具も売れないですからたいへんでしたけど、それでも楽しかったです。主人と一緒にデンマークを訪ねた時には田舎の方のお店や倉庫にまわって、フィンユールのデザインを見つけたりもしました。

デンマークを訪ねて知ったデザインの価値。
「ザ・チェア」はケネディ大統領の対談に使われたことで有名になった椅子ですが、当時の価格で30万程。今では100万を超える椅子になっています。こんなに高い椅子が売れるんだろうかという気持ちもありましたが、デンマークに行って工場を見学させていいただくと、頑張って大切に売らなければならないという気持ちになるんです。本当にいい工場で、社長が職人さんたちを大切にしているし、社長自身も職人としての思い入れがあって。

デンマークという国は資源がなかったからこそ、デザインという付加価値をつけてきたんですね。日本では同じデザインの家具がずっとつくられるという価値観があまりないと思いますが、デンマークにはよいものを長くという文化があります。例えば「Yチェア」は1950年代にそのデザインが生まれて、今でもまだ作られています。デザイナーの意図を理解して、職人さんたちがその椅子を作り続ける。その姿勢がとても素晴らしいと思います。
日本では、ダイニングテーブルとダイニングチェアをセットで販売していることが多いと思います。でも、ひとつのテーブルに異なるデザインの椅子を置いていくと、それぞれの椅子がそれぞれの魅力を引き出してくれるんです。椅子に座ることが楽しみになりますよ。私の場合は洋服やバッグよりも、一生大切にできる椅子にお金をかけたいと思ってしまいます。
ここに置かれた家具を必要とする人がクラフトコンサートに来て、気に入った家具に出会って長く使っていただく。ただそれだけでいいんです。デザイナーや職人さんたちの思いと一緒に、ここにいたいと思います。
